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ためそう まなぼう のこそう [地域]

十日ほど前、藤枝市を流れる葉梨川の源流近くの大沢ヴィレッジに行ってきました。
日頃お付き合いをさせていただいているお茶事の村の理事の方が中心となって再生された古民家で開かれた交流会に参加したのです。
再生された古民家のすばらしさ、そしてそのコンセプトには感動しました。
詳しくは、「大沢ビレッジふるさと発見物語」を見てください。





 

当日は、お茶事の村に出入りしているメンバーだけでなく色々な方が参加されました。
蓬莱橋(大井川にかかる世界一長い木の橋)を守る運動をなさっている方、新たな日本の農業を築こうとがんばっている若い女性など、さまざまな分野で精力的に活動している方々です。

 
色々と技能を持っている方が集まっているので、手作りの鯖寿司を食べ、手揉み茶を味わうという贅沢な時間もありました。


参加された方々との交流を深める、情報交換の場も設けられました。
楽しく、有意義な時間を過ごさせてもらいました。
世の中には、いろんな分野でがんばっている人やいろんな技能を持っている人が沢山いらっしゃることを改めて認識しました。
私などは、まだまだだなあと実感です。


三線おやじが作家に!? [雑談]

あとから考えると、あれがきっかけになって今があるのかなと思われる事があります。
その当事者たちが、そうしたいと思ってやったのではなく、置かれた状況を何とかしたいと思ってやったことが意外な展開を示して、様々なドラマが生まれるのです。
「文政の茶一件」もそのような出来事のひとつかと思います。
史実は、文政7(1824)年、駿河・遠州の茶農家が茶荷主と茶問屋を相手取り、横領で訴えたが、3年の吟味の後訴えが取り下げられたとなっています。
この事件、お茶の生産者が流通業者ともめたという、どこにでもありそうな話なのです。
しかし、この事件の後、現在の島田市伊久美から始まったお茶の生産・製造方法の改革が静岡県内に広がり、茶業が大いに発展していったのです。
つまり、お茶と言えば静岡が連想されるほど静岡のお茶が発展したきっかけが、この事件であったのではと思えるのです。
そんな話を三線おやじがまとめる事になりそうなのです。


三線おやじが古文書を読み解くわけではありません。(できません)
その道に詳しい人が集めた史実を、想像も交えてわかりやすくまとめるのが役目です。
まとめた話は、講談にする計画もあるようです。

なぜそんな事に首を突っ込むことになったのかって?
それは、人をその気にさせる事にかけては天才的な手腕を発揮する”ぱらぽん”に乗せられたからです。


三線おやじ、最後の晴れ舞台へ! すばらしいイラストもできました。 [三線]

明日11月3日、岡部町の文化祭にお母さんコーラスグループのコール・アイビーズが出演します。
軽い気持ちで伴奏を引き受けたら、コンクールに出場することになり、静岡県の予選だけでなく、関東大会、全国大会と出演することになったことはこのブログに書きました。
今回は、その全国大会の報告会のようなものです。そして、三線おやじにとっては、多分このコーラスグループで伴奏する最後のコンサートとなるでしょう。そう思うと、伴奏者として出演するだけのことなのですが、このような大げさなタイトルを付けたくなってしまいました。
興味のある方は、11月3日の午後1時前に岡部町の町民センターまでいらしてください。

イラストとは何のこと?
まあこれを見てください。

土狸庵こと服部あきよしさんが書いてくださったコール・アイビーズのイラストです。


写真と比べると、イラストの素晴らしさが引き立ちます。


写真の左、荷物を両方の肩に掛けている方が服部さんです。(右は三線おやじ)
お母さんコーラスの全国大会で鳥取まで行ったとき、一緒に行ってくださいました。
こんなすごい先生に、荷物持ちと運転手として同伴してもらったとは.....
服部さんについてもっと詳しく知りたい方はこちらへ


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