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ものづくりは何でも大変! [雑談]

しばらくブログを更新しなかった理由。
この一ヶ月程、慣れない編集をやっていた為です。
やっていたのは「瀬戸川新聞」。
瀬戸川は、三線おやじが住んでいる地域を流れる川です。
その川を題材に、地図と瀬戸川に関する話題を新聞形式でまとめています。
その原稿を今日、印刷に回しました。
記事が10ページ、地図が3枚見開きで6ページ、合計16ページ。
サイズはタブロイド。(普通の新聞の半分のサイズ)
瀬戸川フォーラムという団体の10周年記念として発行されます。
5月5日13時から、藤枝市の生涯学習センターで行われる瀬戸川フォーラムのイベントに参加すれば、この新聞を手に入れることができます。


今回、この編集に関わってみて感じたのは、
物づくりは、対象がなんであれ奥が深く大変だということです。
ここ一ヶ月は、この編集作業以外でパソコンに触る気持ちすら起こりませんでした。
今は、完成した後の充実感より、虚脱状態の方が勝っています。
さらに、完成したものをあまり見たくない気分です。
サラリーマン時代、大きなプロジェクトが終わった後の感覚と似ています。
このブログも、やっとの思いで書いています。


表紙
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瀬戸川上流の地図
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瀬戸川中流の地図
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瀬戸川下流の地図
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三線おやじが作家に!? [雑談]

あとから考えると、あれがきっかけになって今があるのかなと思われる事があります。
その当事者たちが、そうしたいと思ってやったのではなく、置かれた状況を何とかしたいと思ってやったことが意外な展開を示して、様々なドラマが生まれるのです。
「文政の茶一件」もそのような出来事のひとつかと思います。
史実は、文政7(1824)年、駿河・遠州の茶農家が茶荷主と茶問屋を相手取り、横領で訴えたが、3年の吟味の後訴えが取り下げられたとなっています。
この事件、お茶の生産者が流通業者ともめたという、どこにでもありそうな話なのです。
しかし、この事件の後、現在の島田市伊久美から始まったお茶の生産・製造方法の改革が静岡県内に広がり、茶業が大いに発展していったのです。
つまり、お茶と言えば静岡が連想されるほど静岡のお茶が発展したきっかけが、この事件であったのではと思えるのです。
そんな話を三線おやじがまとめる事になりそうなのです。


三線おやじが古文書を読み解くわけではありません。(できません)
その道に詳しい人が集めた史実を、想像も交えてわかりやすくまとめるのが役目です。
まとめた話は、講談にする計画もあるようです。

なぜそんな事に首を突っ込むことになったのかって?
それは、人をその気にさせる事にかけては天才的な手腕を発揮する”ぱらぽん”に乗せられたからです。


おかげさまで月食を見ることができました。 [雑談]

8月28日は久しぶりに日本で皆既月食を見ることができる日でした。
三線おやじは小さい頃からこの手の天体現象が好きで、彗星、日食などを見ることができる日は心待ちしていたものです。
さて、今回の皆既月食ですが、天気予報は曇りで、月食が始まる頃は予報どおり曇っていました。
北海道や九州の様子がニュースで流れるのをうらやましい気持ちで見ていました。
次に日本で見ることができるのは6年後と思いながら、あきらめてTVを見ていました。
番組が切り替わる午後8時ごろ、ふと窓の外を見ると、なんと晴れ間がのぞいているではありませんか。
急いで外に出て見ると、赤くて暗い月が雲の間に顔を出しています。
感激しました。
始まりを見ることはできませんでしたが、終わりをこんなに詳しく見ることができたのは初めてでした。


左上が月食中、他は月食が終わっていく様子です。

月食が終わると、また曇ってきました。
こんなに都合よく晴れるとは、奇跡的です。
そういえば、岡部の柏屋で花嫁行列をやったときも、奇跡的に行列の時間だけ雨があがりました。
我が家の強力な晴れ女”ぱらぽん”に感謝です。


三線おやじ入院!? [雑談]

先々週の金曜日のことでした。
それまでの人生から大きな舵取りを要求され、三線おやじを名乗るきっかけとなった持病(?)の定期検査で病院にいきました。持病の再発は無く安心して家に帰ったところまでは良かったのですが、夕方担当医から電話が...
「CTの読影から、肺に穴が空いていると連絡がありました。息苦しくなければ月曜日でよいので呼吸器科にかかってください」
「・・・・・・・」

その月曜日に呼吸器科に行くと、
「気胸という病気です。今日の午後から入院してもらいます」
「・・・・・・・」

とても痛い治療でした。
しかも、処置前と処置後でレントゲンの映像にはほとんど変化はありません。
さらに痛いと言われる治療を勧められたのですが、
その方法にはちょっと問題があると感じていたので受け入れませんでした。
そこで経過観察ということになって、退院してきました。

今回の入院では精神的にまいってしまいました。
病気が快癒しなかったことも一因ですが、もっと大きいのは病院に出入りしている人たちの態度でした。
患者に対する思いやりの気持ちがあまり感じられないのです。
患者の立場になって考えてくれているとあまり感じることができなかった病院の対応(具体的に書くと長くなるのでやめます。)もそのひとつですが、いちばんこたえたのが、病気に見舞いに来る人や付き添いのふるまいでした。
付き添いの人は処や時間をかまわず大きな声で話しをし、見舞いの人は同室の患者に気を遣うことなく大声で世間話をするのです。
もちろん、皆ではありません。だいたいが60~70代のお年寄りなのです。
世の中では、今いちばん余裕があるといわれている年代の人たちです。
かつて、お年寄りは遠慮がちで尊敬に値する人が多かったような気がするのですが、世の中いったいどうなったのでしょう。
あまりにうるさいので注意するのですが、注意が有効なのはほんの少しの間だけです。
注意するほうが悪いことをしているような気になるような感じで、むなしくなってしまいました。
病院側も、そのような人たちに積極的に注意することはありません。
自分のことしか頭に無くて傍若無人に振舞うような人が社会的な制裁を受ける状況が整っていない今の世の中の縮図を見ているようでした。
その話を妻にすると、
「それもあるかもしれないけど、昔は同室の患者同士が良く話しをして仲間意識もあり、見舞い客とは分け隔てなく話をしていた。だから、見舞い客の話も気にならなかったのでは?」
といわれてしまいました。
おやじまたしても
「・・・・・・」
でした。


友有り、遠方より来る。 [雑談]

今日、大学時代の友達が突然訪ねてきました。
会うのはほぼ30年ぶりです。
住んでいる場所はそんなに遠方ではないのですが、30年という長い時間をかけてやってきたのです。
奥さんも一緒でした。
しかも、電話で彼の言うには、奥さんも私を知っているとの事・・・・・・・
そういえば、結婚したとは聞いていたが、誰と結婚したかは知らなかったな。
会ってみると奥さんもなつかしい大学時代の音楽仲間でした。
30年ぶりに会うと言うのに、ほんの少しご無沙汰していたような感じで話が弾みます。
一年前の事はほとんど覚えていないのに、30年前の事はよく覚えているものだなと関心しました。
私の妻の同級生が共通の知人だったこともわかって、妻だけが蚊帳の外ということもなく楽しいひと時を過ごすことができました。
若い頃の友達は、いつまでたっても良いもんだと思いました。

これからは、もうすこし昔の友達に会うように努めてみようかなという気がしてきました。


三線おやじはひねくれもの [雑談]


この写真、なんだか解りますか?

三線おやじは、久しぶりに家から半径50km以遠に、しかも宿泊付きの外出をしました。
サラリーマンをやっていた頃は出張が多く、海外に行くことも珍しくなかったのですが、最近は車で10分以上かかる様なところに殆ど出かけなくなっていました。健康上の理由から、人混みはなるべく避けた方が良いので、電車で出かけたことも相まって、最近の私にとっては大旅行でした。

そんなにまでして出かけて見たのが、写真の施設です。
とある幼稚園に作られた、”ビオトープ”。環境保全に関係する方々には有名らしく、数多くの見学者が訪れたり、環境関連の賞をもらったりしているようです。
この幼稚園の周囲は、田んぼで近くには川もあります。でも、こどもたちに自然を肌で感じてもらうには”ビオトープ”が必要とは、皮肉な話です。


この川も、その筋では有名な川です。高度成長期に汚れて人が入れなくなったが、住民が主体となって様々な働きかけを行い、みごとに清流を復活させています。
今では、子供が遊び、生き物も戻ってきています。


そして、出席したのが、環境保全やまちづくりを行う、とあるNPOが主催する会議です。
藤枝のNPOのお手伝いをさせてもらっている関係から、この会議に参加する事になりました。
この会議を主催したNPOは、とても精力的です。
市民活動、他の団体との交流、国際交流....と盛り沢山です。
大学の先生や学生そして熱心なボランティアが多数参加しています。
”これって本当に多くの住民が望んでいることなの?”と思ったり、
”もう少し進むと宗教になるのでは?”などと感じたりしてしまいました。
そして、そんな事を思うひねくれ者である私に嫌気がさしたりしました。

私がNPOに協力しているのは、住みやすい町ができればいいなとの単純な理由からです。
国際交流などの話が出たら、意気地のない三線おやじはたぶん逃げ出すでしょう。


藤枝東高校は結構すごいぞ! [雑談]

三線おやじの家の近くに、藤枝東という高校があります。
会社勤めをしていた頃、同じ会社にここの高校の出身の方が何人かいました。
皆さん優秀で、聞けば、このあたりでは名の通った進学校との事でした。
でも、この高校、よくある進学校とはちょっと違うようなのです。
この高校の出身者には、Jリーガー・小説家・芸術家・俳優など、ちょっと普通とは違った人が結構います。
最近、藤枝のNPOのお手伝いをさせてもらっていますが、そこでお会いした、この高校の出身者のレベルの高さには驚かされました。
いろいろな分野での第一人者がいらっしゃるのです。
こんな片田舎(志太地区の方々ごめんなさい)の高校がどうしてそんなにレベルの高い人を輩出しているのか?
しかも、静岡の中部地区は保守的でのんびりした土地柄なのに?

わたしの勝手な想像では、
・これまでは、同じ地区に競争相手の高校が少なく、進学一辺倒で生徒を縛らなくても、優秀な人材が集まった。
・進学一辺倒ではないので、生徒は自分の個性を伸ばすことができた。
・学校も、勉強方法を生徒の自主性にまかせた。
等が、あるのではと思います。
藤枝東高校の出身の方、いかがですか?

最近は、学校として進学競争に走り始めたとも聞いています。
もし、これが事実で、私の想像が当たっているなら、何年後かには、ユニークな人材は出てこなくなるかもしれませんね。

がんばれ東高生、そして、東高の出身者たち!
私の勝手な想像は打ち破れ!


校舎は、個性的とは言えないのですがね・・・


情熱を持っている人はすごい [雑談]

このところブログをアップしていませんでしたが、これは、去年陥ったような気が乗らない状態が続いたのではなく、私にしては珍しく忙しかった為です。
今、お手伝いをさせてもらっているNPOのいろいろな活動がたまたま重なって、事務局のような事をやっている私は、資料整理やら議事録まとめやら会合出席などでてんてこ舞いでした。
しばらく、この忙しさは続きそうです。

そんななか、たまたま芸術家から話を聞く機会がありました。
その人、その業界では評価が高く、賞なども獲得しているようなのです。
会社に勤めている人に照らし合わせるなら、メキメキと頭角を現してきた若手といったところです。
同期の人にとっては、いわば出世頭でしょう。上司からも評価されて、ボーナスの査定は良くて、給料も上がっているような人です。
ところが、芸術家の世界はそんなに甘くありません。その程度ではまだ、専業として食べて行けないらしいのです。(もちろん、業種にもよると思いますが)
「仕事がないときは、アルバイトをして食いつないでいます。」と笑って話されていました。
「専業で食べていけるのは、やっている人のうちで5%くらいかな」とも言っておられました。
サラリーマンから考えると、信じられないほど厳しい世界です。
でも、話から受ける印象は、情熱的で、前向きです。後ろ向きの発言は全く聞かれません。
芸術家はすごいですね。
自分の信ずる道を行こうとしている人はすごいですね。

私の方は、圧倒されるやら、感心するやら・・・・
さぞ、親御さんは心配していらっしゃるだろうなと思ったり・・・


三線のことばかり書くのは・・・ [雑談]

何もしないで、一ヶ月が過ぎてしまいました。
「三線おやじ」を名乗っているので、三線のことを書かなければと自分にプレッシャーをかけていたようです。

これからは、少しくだけていきます。

先日行ったレストランの椅子です。
眺めているうちに、あるものを連想してしまいました。
さて何でしょう。


フォッフォッフォッ・・・・


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