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BiVi藤枝 やっと行きました [地域]

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「このピンボケ写真はなんだ」とお叱りを受けそうです。
暗めの場所で、慣れない携帯のカメラ機能を使って撮った写真なので、こうなってしまいました。
これは、藤枝の街に何十年ぶりに出来た映画館の入り口の写真です。
今風の言い方ではシネコン(シネマコンプレックス)。
正式名称は「藤枝シネ・プレーゴ」だそうです。

今年の2月28日にオープンしたのですが、人ごみの苦手な三線おやじは、オープン時期と春休みを避けた結果、やっと足を運んだしだいです。
駐車場は安い(4/8は何故か無料だった)し、駐車券を見せれば鑑賞券は1800円のところ1000円に割引されるし、前の席の人の頭が気にならないし、7スクリーンもあるし、なかなか良い印象でした。
難点は全館指定席のシステム。
ウィークデイの昼間だったので私の見た映画の観客は20人位。
その20人が200席の真ん中に集まって、なんとなく窮屈な雰囲気で映画を見ていました。
チケット売り場で予約をするとき、人は似たような場所を選択するのでしょう。
また、チケット売り場で席の予約をするので、通常のチケット販売の数倍の時間がかかってしまいます。
チケットを売る人も、通常一人でよさそうなところに3人も配置されていました。
(仕事の掛け持ちはしているのでしょう、パンフレット売り場には誰もいなくて、係員に尋ねてやっと購入できました)
お客さんの多い休日はどうしてるのかなと、心配になりました。
でも、全体的には良いところでした。
藤枝に人が集まることが期待できそうな雰囲気がありました。

観た映画は、「ヤッターマン」。
いわゆるコスプレ風ではなく、アニメの雰囲気を上手に実写化したなと感じました。
ボヤッキーが秀逸でしたね。
ドロンジョも良かったのですが、口調が今ひとつでした。
とくに「やっておしまい!」と言う決め台詞の印象、もうちょっと強烈でも良かったのでは....

そのパワーをもっと活用する道は? [地域]

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この写真、何だと思いますか?
このサイズでわかった方はすごいですね。
画像の上にカーソルを移動してクリックすると原寸で表示されます。
これらの車には共通点があります。
  全て軽自動車。 これも正解です。
よーく見てください。
おなじみのマークが付いています。
高齢者マークです。
紅葉マークとも呼ばれています。枯葉マークなどと言う口の悪い人も....

この写真は、平日の午後、とある広場の前で写したものです。
広場ではグラウンドゴルフが行われているようでした。
まさか、全ての運転者が75歳以上とは思えませんが、田舎の高齢者の方々は本当に元気です。
私の住んでいる地域では、高齢者が広場に集まって何かをしているのはよく見かけます。
かつては、このような光景を見かけると、子供の遊び場を占拠してまでやることか?と思っていました。
最近は少し違う思いもあります。
人には誰かとつながっていることを確認する為の場が必用なんだと。
私自身、仕事を辞めて5年がたとうとしているので、余計にそう感じるのだと思います。

リタイアした人はたくさんいらっしゃる。
そのような方々は、自分の存在を確認したい思いがあるでしょう。
それが、さまざまな高齢者の集まりへの参加を促しているのでしょう。

そのような思いを満足させるような社会貢献制度があればいいなと思いました。
リタイアした人たちが、自分の持っている能力を活かすことで充足感を得ることができる制度です。
高齢者の能力を活用する登録制度などもありますが、本当にうまく機能しているのか?
うまく機能しているなら、平日の広場に高齢者が集まるのはもっと少なくなるのでは?

色々なことを考えさせてくれる光景でした。

街づくりはタイミングが大切? [地域]

昨年の5月に、
「こうなると楽しい藤枝の街並」
と題して、旧藤枝宿の周辺をこのようにすると、楽しく暮らせて人も集まる空間が創出できるのではと提案したイラストを掲載しました。
このイラストは「NPO法人 藤枝・お茶事の村」が2006~2007に取り組んだ「街並づくり研究会」から提案されたものです。
この中に、旧藤枝宿の今の商店街の通りの両側に駐車スペースを設けることを提案したイラストがありました。

これと同じ発想の街並を隣町の焼津で見つけました。

ところが、金曜日の午後3時ごろ、そろそろ夕方の買い物客で賑わっても良い時間帯なのに、人通りがほとんどありません。写真を見ていただけるとわかるように、車と人の両方について考慮してあるし、奇麗に整備されているにもかかわらず、こんな状態です。何軒かのお店ではシャッターが降りている始末です。

私の想像では、改装のタイミングが遅かったのではとおもいます。
十数年前から焼津の郊外では区画整理が大々的に行われ、そこに大型店が出店し、JR焼津駅周辺の中心市街は寂れていきました。
それを食い止めるべくこの改装が行われたのでしょうが、時既に遅しということだったのでしょう。
それとも、私が勝手な思い違いをしているだけでしょうか?

旧藤枝宿の商店街の改装も人の流れが郊外中心となってしまってからでは遅いと思っているのは私だけでしょうか?


静岡茶物語 知れば知るほど面白い。 [地域]

静岡といえば、富士山とお茶のイメージがあると思います。
富士山は自然が作ったもので、そこにあるのだから人の力でどうなるものではありません。
自然から静岡への大きなプレゼントといったところでしょう。
でも、お茶どころとしての静岡のイメージは人が作り上げたもので、そこに至るまでの人の営みの歴史があります。
これが、調べれば調べるほど面白いのです。
静岡のお茶に関係する歴史上の有名人には、徳川家康、田沼意次、大蔵永常、遠山景晋(遠山の金さんの父)、ジョン万次郎、徳川慶喜、益田孝などがいます。(すこしこじつけのところはあります。)
大きな歴史の節目に静岡茶は変化し発展しています。
江戸幕府が始まると共に栽培が広まり、天宝の大飢饉の頃に今の静岡茶の元となる栽培・製造方法が始まり、明治と共に世界に進出し、大正・昭和には日本国内での地位を確保していきます。
特に、江戸時代後期から明治初期にかけて静岡茶の発展にかかわってきた人たちには不屈の闘志とパイオニア精神が感じられ、そこには見ごたえのあるドラマが展開されています。

どうです。話を聞いてみたくなったでしょう。


一つ前のブログで、私が講談の話をまとめる事になるかもしれないと書きましたが、それは無くなり、講談を組み立てるのに必要な資料を集めて話の大筋を提示するだけになりました。
最初に書いたのは、その資料を集める途中に仕入れたものです。
機会があれば、私なりの話にまとめてみたいと思っています。

画像は、知り合いのお茶問屋さんが計画されている静岡茶の体験ツアーのパンフレット案の一部分です。


三線おやじが、だんだん三線と関係のないことに首を突っ込むようになってきました。
このごろ、三線の作り方についてのブログ版を作ろうかなと考えています。


ためそう まなぼう のこそう [地域]

十日ほど前、藤枝市を流れる葉梨川の源流近くの大沢ヴィレッジに行ってきました。
日頃お付き合いをさせていただいているお茶事の村の理事の方が中心となって再生された古民家で開かれた交流会に参加したのです。
再生された古民家のすばらしさ、そしてそのコンセプトには感動しました。
詳しくは、「大沢ビレッジふるさと発見物語」を見てください。





 

当日は、お茶事の村に出入りしているメンバーだけでなく色々な方が参加されました。
蓬莱橋(大井川にかかる世界一長い木の橋)を守る運動をなさっている方、新たな日本の農業を築こうとがんばっている若い女性など、さまざまな分野で精力的に活動している方々です。

 
色々と技能を持っている方が集まっているので、手作りの鯖寿司を食べ、手揉み茶を味わうという贅沢な時間もありました。


参加された方々との交流を深める、情報交換の場も設けられました。
楽しく、有意義な時間を過ごさせてもらいました。
世の中には、いろんな分野でがんばっている人やいろんな技能を持っている人が沢山いらっしゃることを改めて認識しました。
私などは、まだまだだなあと実感です。


大旅籠柏屋での結婚式はとても素敵でした。 でも・・ [地域]



この人だかりは何でしょう?
芸能人が来たわけでも、事件が起こったわけでもありません。
岡部町の大旅籠柏屋で行われた結婚式の一場面です。

昔ながらの結婚式を大旅籠柏屋でやってみたいという有志によるプロジェクトが実現したのです。
もちろん本物です。
詳しくは妻のブログ”ごきげんぱらぽん”を見てください。
三線おやじも妻に引きずり込まれる形でこのプロジェクトに参加していました。

当日は花嫁行列の間だけ奇跡的に雨が上がってくれたこともあり、大いに盛り上がった結婚式となりました。

でも・・・・。
本当にこれでよかったのかとも思います。
初めてのプロジェクトということもあり、結婚式を申し込まれた方の同意も頂いて、報道関係も含めていろいろなところに連絡しました。
おかげて、多くの方々に祝福していただくことができました。
結果としてまるで芸能人のような扱いとなってしまい、お二人には本当に喜んでいただけたのか心配になりました。
プロジェクトのメンバーも含めてその場に居合わせた人々のお二人に対する”気遣い”がもう少しあれば、もっとすばらしい結婚式となったと思います。


こうなると楽しい藤枝の街並 [地域]

三線おやじの忙しさも、一段落しました。
その成果の一部をお見せします。
昨年の9月から「NPO法人 藤枝・お茶事の村」の分科会「街並づくり研究会」で検討を重ねてきた、街並づくりの提案です。
詳しくは、お茶事の村のHPの「街並づくり研究会」のページをご覧ください。

この分科会における三線おやじの役割は事務局。
研究会とか事務局とか名前が付いていますが、小さい組織なので資料のまとめはほとんど三線おやじの担当です。
絵や設計図は専門家にお願いしていますが、体裁よくまとめたりホームページを作るのは三線おやじのしごとです。
おかげさまで、いろんなパソコンソフトを操ることができるようになりました。
五十代のおやじにしては...と自画自賛しております。



三線おやじは忙しい? [地域]

ここのところ、忙しくてブログに書き込みができませんでした。
(もちろん、不精な性格も影響しています。)

昨年から手伝っている、NPOのプロジェクトがまとめの段階に入って、事務局を担当している三線おやじは何かとやることが多くなったのです。
おまけに、このNPOが主体となって開催する5月の連休のイベントで、このプロジェクトの結果をまとめて発表する予定になっているから、大変です。

どんなプロジェクトかについては、
”NPO法人 藤枝・お茶事の村”のHP”街並づくり研究会”のページをご覧ください。
5月の連休のイベントについては、
同じHPの”2007お茶の香ロード”のページをご覧ください。

2007お茶の香ロードに来て、”街並づくり研究会”のブースを覗いていただければ、
街並づくり研究会のプロジェクトの内容だけでなく、
三線おやじの三線にお目にかかれるかもしれません。


これは、何枚かある発表用のポスターのうちの一枚です。
自分としても、このやわらかい雰囲気のイラストが気に入っています。
左下の正確な計画図面もなかなかです。
その道のプロはさすがだなと思いました。
まだ原案の段階で、最終的にはイラストに色が付いてもっとかっこよくなります。
ところで、三線おやじは何をやってるのか?
打ち合わせをして、内容をまとめて、イラストなどの仕様を出して、上がってきたイラストや図面をチェックして、体裁よくまとめて等々・・・・・
ふうー! 忙しい!


我が家で、”花倉城”と言えば・・ [地域]

 今週のNHKの大河ドラマ”風林火山”で、「花倉の乱」の話をやっていました。
 その花倉城跡は、我が家の近くに有り、藤枝市のハイキングコースのひとつになっていて、入り口に写真(2003年撮影)のような看板が立っています。今川義元と言えば、織田信長に不意打ちされて負けた、あわれな武将との知識しかなかったのですが、この看板を見て、家督争いに勝つくらいには優秀だったのだと知りました。さらに、今度のドラマでの取り上げられ方が当たっているなら、それなりの策士だったこ事になります。歴史とは、認識の仕方で大きく変わるもんだと実感します。
 花倉城跡は、我が家から往復で10km位の所にあります。標高差は250m程度ですから、元気な人にとっては、ちょうど良いハイキングコースです。2003年の頃は、わたしも大病する前で、たまに、妻とこの程度の距離を歩いていました。この時、往路は順調で体力も余っていたのでしょう、帰りは少し回り道をしようということになりました。地図を見ながら、別の道をたどって下山を試みたのですが、どこまで行ってもふもとにたどり着けそうにありません。人が殆ど歩いたことのなさそうな山道を歩くので、都会育ちの妻は悲鳴をあげています。(そんなときの妻は無口になります)迷ったことを知った我々は、仕方なく元来た道を引き返しました。
 我が家ではこの出来事以来、ちゃんとした道の無さそうな所にハイキングに行くことは無くなりました。そして、”花倉城”と言えば、山道で迷う代名詞になっています。


瀬戸川土手三変化 [地域]

我が家の近く、瀬戸川の土手の写真です。
藤枝の町に接しているところは、桜並木です。
桜といえば、春のイメージですが、夏や秋も風情があります。
夏は木陰をつくり、秋は紅葉を楽しめます。
藤枝市民の散歩道として人気があります。
しかし、車も通るので結構危なくもあります。
ここを公園にしたいと思っている方々もいらっしゃいます。
私もそう思う一人です。


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